2017年9月15日金曜日

秋祭り

秋季祭が近づいてまいりました。  

皇大神宮の秋祭りは
10月15日(日) 午後6時30分より 前夜祭並びに奉賛会芋煮会 10月16日(月)午前11時より  秋季祭・収穫感謝祭
となっております。
 関係の方には、9月末ごろご案内状を差し上げますので、ぜひご出席ください。
 また、祭典実行委員会の方には
10月15日 午前6時より 旗揚げ
10月17日 午前6時より 旗おろし
がありますので、ご協力をよろしくお願いいたします。

2017年9月6日水曜日

小島総本店の蔵開き、まもなくです

東町(住所の町名は本町)にある小嶋総本店。清酒”東光”の蔵元で、9月9日、10日の両日、蔵開きのイベントがあります。 年に1度、酒蔵の中を見学したり、美味しいお酒を試飲できたり、屋外のイベント会場ではさまざまな催し物が開催されます。 当神宮の近所であり、実は東光の会長さんが総代会長ををしていただいています。 そんなわけで、蔵開きの際は皇大神宮にもご参拝ください。 蔵開きの詳細は”東光”のこちらのサイトへ http://www.sake-toko.co.jp/topics_detail.php?topics_id=221

2017年9月4日月曜日

上杉謙信時代の御師蔵田家

当神宮の社家は現在 長谷川家です。明治時代以降長谷川家になりましたが、明治以前は蔵田家でした。明治期に蔵田家は管轄社の一つの小松皇大神社に居を移しました。米沢の皇大神宮は、兄弟だった長谷川家に託されました。

では、東町に鎮座する皇大神宮はいつ頃建立されたか。皇大神宮が米沢に建てられたのは、1600年以降です。関ヶ原の戦ののち、上杉家は会津から米沢に移封となります。その時に米沢に遷されました。
その前は、越後にありました。少なくとも上杉謙信の時代に越後領内に、伊勢神宮の御分霊をいただき、勧請されたようです。以後、上杉家の崇敬は厚く、米沢時代は藩内の寺社中で最も高い石高を拝領しています。

越後時代に、伊勢から御分霊をいただき神明社を建立したのが、伊勢の
御師だった蔵田家です。
当時御師とは、神様の信仰を各地に広め、講中を形成し、参宮の旅を企画し伊勢神宮まで案内する。また、各地の特産物を扱い流通に携わったりもしています。中世は各神社に御師がおり、御師の広がりとともに各地に神社が建てられました。
特に伊勢神宮の御師は「おし」ではなく、「おんし」と呼ばれたそうです。
蔵田家は、御師としての仕事のみならず、政治的にも力を持ち、藩内の重要な役割も担っていました。
謙信の時代に関する年表には次のような記載があります。

(新潟県立図書館 年表アーカイブより)
永禄四年
 2.25        景虎,蔵田五郎左衛門に府内の火の用心を命じる
 4.27        政虎,蔵田五郎左衛門に,府内・御蔵の警備を命じる
 8.29        政虎,会津芦名氏・羽前大宝寺氏の応援を得て,斎藤朝信・山本寺定長・蔵田五郎左衛門を越中に派遣する
永禄七年
 8.24        輝虎,蔵田五郎左衛門に府内・春日の火の用心を命ずる
永禄九年
 5.9           輝虎,北条氏康との和平と京都・鎌倉両公方の擁立実現を神仏に祈る(御年譜P261)
永禄十二年
 閏5.20    輝虎,伊勢大神宮遷宮費のため棟別銭を越後国内に課す[(5)4197

天正10 景勝,蔵田五郎左衛門に青苧座の権利を安堵し,国中から青苧公事を徴収することを命じる

上記を見ると御師蔵田家は神官の仕事のみならず、青芋の交易なども手がけたり、火の用心から、警護の仕事など様々な活躍をしています。謙信からの信任厚く武士としての役割も担っていたと考えられます。
東町皇大神宮のブログを始めました。HPでは素早くお伝えできない情報や、その時々の神社の様子、神社に関わる話、米沢の出来事など、お伝えできればと思います。

神社について